井上大仁が折り紙を折る理由と厳選2作品|出身中学でサッカーからマラソンへ転向した母の戦略とは?

井上大仁 折り紙

2020年に行われる東京オリンピックのマラソンの代表選考をかけたマラソングランドチャンピオンシップ・MGC。いよいよ2019年9月に開催されます。

2017年からMGCの出場権をかけて日本のトップランナーたちが、日本各地で行われる大会で戦ってきました。そんな戦いで、MGC出場を決めた井上大仁選手。

子供の頃は運動神経の良い方ではなかったとか。このページでは、井上大仁選手に注目します。

 

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井上大仁(いのうえひろと)が折り紙を折る理由

マラソンの東京オリンピック代表を決めるMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)への出場権を獲得している井上大仁選手。アスリートなだけあって、子供のころから運動神経が良くて、活発な性格なのかと思いきや、井上大仁選手の場合は少し違っていたようです。

井上大仁選手は小学生の頃から、あまりスポーツが得意な方ではなく、お姉さんに連れられて入ったドッヂボール部も、お姉さんの卒業と同時に辞めてしまったとか。

お姉ちゃんが行くから僕も付いていく、くらいの気持ちだったのでしょうか。そんなスポーツ大好きな男の子という印象からは程遠い、井上大仁選手の得意なことの1つに、『折り紙』があります。

折り紙を折るようになった理由には、このようなことがあったとか。

井上大仁選手が折り紙を折るようになった理由は、子供の頃に折り紙の本をプレゼントされたことにあったそうです。

確かに、子供に折り紙の本、わが家も買ったことがあります。幾つかの折り方を本を見ながら折ったことがあります。ですがいつしか、わが家では興味を持たなくなりました。

そんな家庭もある中、井上大仁選手は折り紙にはまっていくことになったそうです。最初はもちろん子供が折るので、簡単な折り方だったのではないでしょうか。

ですが大人になった井上大仁選手の折る折り紙の作品がすごいんです。これ紙で折られているの?と疑いたくなるような大作。

どこをどんな風に折っているのかもう創造すらつきません。そんな井上大仁選手の折った折り紙を見ていきましょう。

 

井上大仁の折り紙作品|厳選2作品を紹介

MGC出場資格を獲得している井上大仁選手。井上選手の折り紙の作品がすごい大作なんです。まずは、こちら。

井上大仁 折り紙

どこからどう見ても『馬』ですよね。もう彫刻か何かかと見間違うほどの素晴らしい出来です。馬のお腹の部分の筋肉の盛り上がり具合とか、たてがみとか、足の筋肉の付き方とか、顔とか。

本当に紙から折られているの?と思うほどのすごい作品になっています。

そしてもう一つ。

井上大仁 折り紙

どこからどう見ても『フクロウ』ですよね。顔の作りとか、羽根の一本一本とか、足の作りとか。もう何がどうおられるとこうなるのか、想像できません。

折っているところの動画を上げてもらって、じっくり見たい気になります。そんな風に折り紙を折る時間は、ゾーンに入って心を落ち着けることができるのかもしれません。

マラソンも前を向いて、淡々と一歩一歩歩みを進めるということでは、共通している部分があるのでしょうか。

 

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井上大仁が出身中学でサッカーからマラソンへ転向した母の戦略とは?

井上大仁選手の出身中学は、諫早市立飯盛中学校。長崎県諫早市(いさはやし)飯盛町(いいもりちょう)にある公立中学校です。

子供の頃に折り紙の本をプレゼントしてもらったのは、きっとご両親やそのほかの大人の方だったと思うのですが、マラソンを始めるきっかけとなったのは、お母さんの影響があったそう。

 飯盛小では休み時間には友達がサッカーで遊んでいるのをよそに、校庭の片隅でダンゴムシを集めて喜んでいるようなタイプだった。1つ上の姉・優希さん(27)の影響で4年生のときにドッジボール部に入ったが、姉の卒業と同時に井上も辞めていた。

そんな井上が陸上の道へ足を踏み入れたのは康子さんの入念な作戦があった。球技が苦手にもかかわらず井上は中学ではサッカー部を希望した。「サッカーは送り迎えも大変。どうしようかと思っていたら、知人から陸上部は負担が少ないと聞いた。これは陸上に入れないとと思った」。康子さんの陸上作戦が発動した。

小学6年の正月。箱根駅伝を家族でたまたまテレビで見ていた井上に「サッカーは少ししかテレビに映らないけど、陸上の速い選手はその区間ずっと映っている。凄いね、ヒーローだよ。飯盛のヒーローだよ。みんな喜ぶよ」と“マインドコントロール”。乗せられやすい井上も「それなら箱根を走らんばいかんとか…」と翻意し、陸上選手の第一歩を踏み出した。康子さんは「不純な動機ですね」と笑うが、名実ともにマラソン井上の生みの親となった。

出典:スポニチ

小学校の頃はスポーツ万能というよりは、虫取りに興味を示すような子だったそう。そんな性格なのに、中学に入る時には、サッカー部を希望したというので、お母さんも驚いたのですね。

確かにサッカー部って、試合があったり練習があったり、それも遠征ともなれば、親が車を出したりして送迎をするって当然のことのようになっています。

親御さんも子供の部活を一緒にやるような意気込みでないと、続けることが難しいかもしれません。お母さんの気持ち、すごくよく分かります。

ですが、井上大仁選手がすごいのは、少しでも送迎やフォローが少なくて済む陸上部を勧めるお母さんの気持ちを察したのか、素直に聞き入れたのか分かりませんが、陸上部へと意向を変えていったところ。

すごくマインドが素直なのでしょうね。そして中学では、その陸上部で力を発揮し、記録を伸ばすための努力も怠らなかったようです。

 中学の陸上部で長距離の適性を見いだされると、もっと記録を出したいという欲が井上に生まれた。中1の冬「強くなりたい」という井上の思いを受けた父・正文さん(53)は親子で新聞配達の手伝いをするという“秘密の朝練”をスタートさせた。早朝4時から山道を3キロ程度走って地区の新聞を配った。

配り終えると小学校のグラウンドを20分程度走った。記録会などの距離が中学2年からは1500メートルから、3000メートル、5000メートルに切り替わるため、距離を稼げる場所を探した。「一周6キロで国道をぐるっと回りました。新聞配達は準備運動、グラウンドで30分走るのが練習になりました」。高校3年まで雨の日も続けた成果が、ロードの基礎を形作った。

出典:スポニチ

早朝の新聞配達だけでもきついと思うのに、配達を終えた後も、トレーニングを続けてきたのは、お父さんの支えがあったからこそなのでしょう。

そしてお父さんの指導を素直に受け入れてひたむきに努力した井上大仁選手。日本を代表するトップランナーになる素質は子供のころから兼ね備えていたのですね。

 

まとめ

『井上大仁が折り紙を折る理由と厳選2作品|出身中学でサッカーからマラソンへ転向した母の戦略とは?』としてまとめてきました。

中学での部活をサッカー部を希望した井上大仁選手を、陸上部へとコントロールしたお母さんの話にすごく共感してしまいました。

そして、その陸上で才能を見出された井上選手のトレーニングに付き合うお父さんの温かさもすごくいい話だと感じました。

2020東京オリンピックのマラソン代表枠は3つしかありませんが、その狭き門を通って、東京オリンピックで井上大仁選手の走る姿、見たいです

最後までお読みいただきまして、誠にありがとうございました。

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