根尾昴の背番号7を付けた歴代中日選手まとめ|宇野勝や俳優の父のアノ選手も!

根尾昴

2018年の高校野球選手の中でもひときわ注目を集めた大阪桐蔭高校の根尾昴選手。10月に行われたドラフトでは、中日ドラゴンズが一位指名しました。

監督就任後の大仕事となった与田剛(よだつよし)監督も、くじを引き当てた時にはホッとされたようでした。そんな根尾昴選手が中日に入団が決まり付けることとなった背番号が、『7』。

中日の中でも花形の選手が付けるという背番号『7』。根尾昴選手への期待の大きさがよく分かります。

ところで、中日の背番号『7』って、これまでにはどんな選手が付けてきたのでしょうか。例のアクシデントで有名なあの選手から今や俳優さんの父という意外な選手までまとめましたよ。

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2019年~1971年 歴代中日背番号『7』をつけた選手まとめ

1971年から2019年までの中日ドラゴンズで背番号7を付けた選手はこのようになっています。

西暦 中日歴代背番号『7』をつけた選手
2019 根尾 昴
2018 明き番
2017 森野将彦
2016 森野将彦
2015 森野将彦
2014 森野将彦
2013 山崎武司
2012 山崎武司
2011 佐伯貴弘
2010 ディオニス・セサル
2009 李 炳圭
2008 李 炳圭
2007 李 炳圭
2006 川相昌弘
2005 川相昌弘
2004 川相昌弘
2003 谷繁元信
2002 谷繁元信
2001 李 鍾範
2000 李 鍾範
1999 森野将彦
1998 森野将彦
1997 森野将彦
1996 山田和利
1995 メル・ホール
1994 横田真之
1993 ブルック・ジャコビー(5月初め退団)/
マット・ステアーズ
1992 宇野 勝
1991 宇野 勝
1990 宇野 勝
1989 宇野 勝
1988 宇野 勝
1987 宇野 勝
1986 宇野 勝
1985 宇野 勝
1984 宇野 勝
1983 宇野 勝
1982 宇野 勝
1981 宇野 勝
1980 宇野 勝
1979 宇野 勝
1978 新宅洋志
1977 新宅洋志
1976 新宅洋志
1975 新宅洋志
1974 新宅洋志
1973 新宅洋志
1972 新宅洋志
1971 新宅洋志

2018年は、空き番号となっていたんですね。気づきませんでした。歴代の宇野勝選手はなんといっても印象深い選手ですね。ヘディング事件は本当に、何とも言えない事件でしたね(笑)。

それぞれの選手について、もう少し詳しく見ていきましょう。

 

2019年 根尾 昴

2018年の高校野球の一番人気と言っていい選手。岐阜県飛騨市出身で両親ともにお医者さんという家庭に育ちました。

根尾昴

お兄さんもお姉さんも医療関係の道を歩んでいらっしゃって、根尾昴選手自身も成績は常にトップ。文武両道ですね。

さらに根尾選手のすごいところは、野球だけでなくスキーでも優秀な成績を残しているんです。中学2年生の時に出場した『平成26年度 第52回全国中学校スキー大会』では、男子スラロームに出場し2位と0.55差で優勝しています。

その時の第7位までに入賞した選手は、中学3年生。その中でも中学2年生の根尾昴選手が1位を取っていました。優秀ですね。


もしかしたら、野球の道じゃなくてスキーのオリンピック選手とかにももしかしたらなっていたのかもしれないのですよね。才能があり過ぎて、一つに絞るのがもったいないですね~。

中日では、どんな活躍を見せてくれるのか今から2019シーズン開幕が楽しみで仕方ありません!2019年のシーズン開幕は、3月29日金曜日。

中日は、横浜でのDeNA戦から始まります。開幕戦に根尾昴選手の名前があるのか無いのか、うーん、楽しみ!

 

2018年 明き番

森野将彦さんが2017年に引退されて以降、背番号『7』は中日ドラゴンズでは空き番号となっていました。森野将彦さんは、現在中日ドラゴンズ2軍打撃コーチとして活躍されています。

 

2017年~2014年 森野将彦

現在、中日ドラゴンズの2軍打撃コーチを務められている森野将彦コーチ。2014年から2017年中日の背番号『7』をつけていらっしゃいました。

森野将彦

実は、森野将彦さんが背番号7を付けるのは、2回目。1997年の高校卒業した1年目、ルーキーイヤーにも背番号7をつけていました。

森野将彦さんは、入団した1997年8月にナゴヤドームでのヤクルト戦に出場し、高卒ルーキーとして立浪和義さん以来の記録となる本塁打を打っています。

この記録、根尾選手は超えることが出来るんでしょうか。ちなみに立浪和義さんは、1988年高校卒業後の春季キャンプを1軍でスタートしています。そして、立浪さんは開幕戦で先発2番でショートで出場しました。

この記録は、高卒ルーキーとしては中日ドラゴンズの歴史の中でもただ一人です。2019年の開幕戦、根尾昴選手の先発出場はあるのでしょうか。うーん、楽しみ!(どうしても根尾選手よりの話になってしまう(笑))

森野将彦さんというと、2018年の紅白歌合戦の紅組の司会にも決まっている広瀬すずさんに似ていると話題になったことがありました。

森野将彦 広瀬すず

あごのラインが広瀬すずさんの方は細いんですが、森野将彦さんは丸いラインですね。でも目の感じとかどことなく似ている気がします。

森野将彦コーチには娘さんがいらっしゃるそうなので、お父さん似のようですし、広瀬すずに似た可愛い娘さんなのでしょうね。

 

2013年~2012年 山崎武司

山崎武司

 

2011年 佐伯貴弘

佐伯貴弘

 

2010年ディオニス・セサル

ディオニス・セサル 

 

2009年~2007年  李 炳圭(イ・ビョンギュ)

イビョンギュ

 

2006年~2004年  川相昌弘

川相

 

2003年~2002年 谷繁元信

谷繁元信

 

2001年~2000年 李 鍾範(イ・ジョンボム)

イ・ジョンボム

 

1999年~1997年  森野将彦

森野将彦さんが1997年中日に高卒で入団した時につけた背番号は7番でした。ですが1999年に李鍾範(イ・ジョンボム)が背番号7を希望したとのことで、8番へと背番号を変更しています。

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背番号8と言えば、森野将彦さんの東海大学付属相模高校の先輩でもある原辰徳監督(巨人)が付けていた番号。森野将彦さんは快く変更に応じたそうです。

 

1996年 山田和利

1996年に中日ドラゴンズで背番号7をつけていたのは、山田和利さん。現在、広島カープの内野守備走塁コーチをされています。

山田和利

愛知県名古屋市中村区出身の山田和利コーチは、愛知県の東邦高校から1986年に中日ドラゴンズにドラフト4位で入りました。

山田和利

中日で1986年から1990年までプレーし、1991年からは広島で1995年までプレーしていました。その後、1996年に中日に戻りましたが、怪我のために引退され、コーチを務めていらっしゃいます。

山田和利コーチには、息子さんと娘さんがお一人ずついらっしゃいます。ご長男は、俳優の山田裕貴さんです。

山田裕貴

山田裕貴さんは、ワタナベエンターテイメント所属の俳優さんで、愛知県名古屋市出身。野球の強い東邦高校を卒業されています。お父さんの母校ですね。やはり山田裕貴さんも野球をされていたそうです。

ですが高校では、野球の道は諦めてバレーボール部に入部したそう。高校卒業後に、ワタナベエンターテイメントカレッジに入られたそうです。

 

1995年 メル・ホール

メル・ホール

 

1994年 横田真之

 

1993年 ブルック・ジャコビー(5月初めに怪我で退団)/マット・ステアーズ

 

1992年~1979年 宇野 勝

宇野 勝

1978年~1971年 新宅洋志

 

 

【まとめ】根尾昴の背番号7を付けた歴代中日選手まとめ|宇野勝や俳優の父のアノ選手も!

『根尾昴の背番号7を付けた歴代中日選手まとめ|宇野勝や俳優の父のアノ選手も!』としてまとめてきました。歴代の中日で背番号7を付けた選手は、『打って良し走って良し』の選手が揃っています。

2018年に中日に入団した根尾昴選手のこれからの活躍もとても楽しみですね。

最後までお読みいただきまして、誠にありがとうございました。

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